佐賀地方裁判所武雄支部 昭和36年(わ)22号 判決 1961年12月19日
被告人 山口弘
大九・七・一四生 パチンコ店主
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、「被告人山口弘は駄原実(当三十年)と共に昭和三十六年二月二十四日午后十二時頃武雄市武雄町蓬莱町キヤバレー魔女に於て飲酒の際、女給の接待の良い悪い等のことより同店のボーイ武辺征支(当二十年)、バーテン前山保正(当二十年)バンドマン丸山種敏(当二十八年)等と喧嘩口論をなし同人等より殴打されたことに言い掛りをつけて直ちに駄原と共に同市武雄町竹下町浅井豊こと力久豊(当三十四年)方に到つて同人にことの経緯を話し更に右力久或は右駄原より順次、同市武雄町川良藤原国男(当四十一年)、同市武雄町本町古賀司(当二十七年)等に連絡して、此処に被告人駄原、力久、藤原、古賀の五名が前記魔女のボーイ等の暴行の件に因縁をつけて同人等より金品を喝取せんことを共謀した上、右被告人等五名が揃つて同夜二十五日の午前一時三十分頃魔女の隣の同店ボーイ等の宿舎となつている小桜屋二階六畳の部屋に押しかけて同部屋に於て前記武辺、前山、丸山外ボーイ、バーテン等数名の居る前で「今夜の喧嘩の話をつけにきた誰が叩いたか、殴つたか殴つた者は出て来い、お前達責任を取れ」等と怒号し更に力久が洋服の後より所携の匕首を取り出し鞘を払つて匕首を部屋中央に置いてあつた炬燵の台の上に突き立てゝ脅迫し、駄原等を殴つたと云う三名を名乗り出させ、更に力久に於て「殴つた三人は一応話をつけるから一寸そこまで附き合え」と申向けて同夜午前三時三十分頃前記武雄町川良の藤原方に武辺、前山、丸山の三名及び藤瀬晴敏(当二十六年)を呼びつけ同所八畳座敷に於て同人等と被告人等五名が対座した上「山口さんも駄原君もお客ぢやないか、お客に対して殴つたり等してよいか而も一人と一人ならまだしも大勢して殴るとは何事だ」と当夜の喧嘩沙汰につき文句を並べた上治療代を三万円位出せと要求し若し要求に応ぜなければ如何なる危害を加えるかも知れない勢威を示して右武辺等四名を脅迫して同人等を畏怖せしめ因て同四時頃同所に於て前山、藤瀬両名が魔女に赴いて持つて来た清酒一級酒一升瓶詰一本、同二級酒一本(時価計一、三〇〇円相当)を右武辺等四名より交付を受け更に同日午后六時頃右藤原方に於て被告人等五名の居るところに前記武辺、前山、丸山の三名及随行の魔女支配人森崎道夫(当四十二年)並に前記藤瀬等が持参した現金一万円入りの金一包並に清酒二級酒一升瓶詰二本(時価一、〇〇〇円相当)を同人等より交付を受けて夫々喝取したものである。」というのである。
しかして第一回公判調書中被告人の供述記載、被告人の当公廷における供述、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、第二回公判調書中証人前山保正、同丸山種敏及び同藤瀬晴敏の各供述記載、証人武辺博詮、同大屋進(第三及び第五回各公判)、同森崎道夫、同田中登及び同力久豊の各当公廷における各供述並びに証人前山保正の尋問調書を綜合すると、被告人及び駄原実は、昭和三十六年二月二十四日午後八時半頃より同十時頃まで武雄市武雄町西浦町にあるホルモン料理屋で焼酎八杯(二人で)を飲み、相当酩酊したうえ、同日午后十時過ぎ、同市武雄町蓬莱町にあるキヤバレー「魔女」に行き、同店でビール二本とつき出しを註文して遊んでいた。午後十二時閉店と同時に、代金千八百四十円を請求されたが、女給の接待も悪いうえに、不当な代金を請求されたゝめ駄原が「代金が高い、女のサービスが悪い、金を払わん、家に取りにこい」等の文句を云つたところ、同店バンドマン丸山種敏(二十八才)と口論となり、その揚句駄原は丸山及び同店バーテン前山保正(二十才)、同大屋進(二十才)、ボーイ武辺博詮(十九才)、同天ヶ瀬某、同永淵某の六名に同店の北方五十米にある興福寺門前に連れ出され、同人等に取り囲まれたうえ、丸山、前山及び武辺から袋叩きにされ、顔面が腫れ上がる程殴打され、更に被告人も同店前路上で武辺から両頬を平手でたたかれた上、代金千八百四十円を支払わせられた。被告人は駄原に「帰ろう」と云つたが、駄原が同市武雄町竹下町の力久豊方に赴き、同人に右のてん末を訴え、「話をつけてくれ」と頼んだので被告人も共に同人方に赴き、同人にそのてん末を告げたところ、同人がこれに応じ、同市武雄町本町古賀司及び同市武雄町川良藤原国男を誘い合せて、ここに被告人、並びに、駄原、力久、古賀及び藤原の五名で翌二十五日午前一時三十分頃、前記魔女の隣にあり、同店のボーイ等の宿舎になつている小桜屋に押しかけ、同家二階六畳の間において力久が同所にいた前記前山、大屋、永淵、天ヶ瀬並びに同店バーテン藤瀬晴敏(二十六才)及びマスター森崎道夫(四十二才)の六名に対し「誰が殴つたか、殴つた者は出ろ」と云つたが誰も返事をしなかつたので、力久は更に所携の登山用ナイフ(押第二号)を出し、それを同所にあつた炬燵の台の上に突き立て同時に「お客さんを怪我させたりして黙つているなら腹をきめる、お前達はバラバラにしてやるぞ」等と怒号したところ、登山用ナイフは一分間位でその場に倒れたので、これを引込めた。その後連絡を受けて同所に来た前記丸山及び武辺に対しても「誰が殴つたか」と追及したところ、遂に丸山、前山及び武辺が名のり出たので「うちの客人をこがんしてどうしてくれるか、責任をとれ」と云い、更に午前三時半頃同人等三名及び前記藤瀬を前記藤原方に連れ出し、同人方階下八畳の間において力久が右四名に対し、「お客に対して殴つたり等してよいか、一人と一人ならまだしも大ぜいして殴るとは何ごとだ、お前達はどうするか、駄原には友達もあちこちに択山いるからよい」等と申し向け、更に「治療代を出せ」と云い、こゝに被告人力久、駄原、古賀、及び藤原は暗黙のうちに意思を通じて、畏怖している丸山、前山及び武辺から治療代等の損害賠償を取り立てることを共謀し、力久において、丸山を同家二階に連れて行き同人に対し「治療代として三万円出せ」と申し向けたところ、丸山は武辺及び前山を階下三畳の間に呼び出し、三名相談の末二万円に下げてもらうべく、同部屋において力久に交渉し、一応二万円に決定した。更に力久は階下八畳の間において、丸山等四名に対し、「お互いに水に流すには酒が一番よいから、君達酒を二、三本持つてこんや」と申し向け、前山及び藤瀬をして魔女から一級清酒一升瓶詰一本及び同二級清酒一本を持参させ、藤原は鶏を料理して提供し、これを皆で談笑しながら飲食したうえ、午前五時頃丸山等四名を帰らせた。丸山等は治療代を要求された旨を前記森崎に相談したところ、森崎としては、キヤバレー魔女を「暴力キヤバレー」と喧伝されることを心配したが、二万円は高過ぎると考え、藤瀬、丸山及び前山とともに同日午後六時頃、丸山、前山及び武辺名義の「のし袋」に入れた現金一万円にキヤバレー魔女として二級清酒一升瓶詰二本を添えて藤原方に持参し、同家階下三畳の間において被告人浅井、駄原、古賀及び藤原の五名のいるところえこれを提供した。被告人は右「のし袋」に一万円入つていたことは後に駄原に聞いてはじめて知つたことが認められる。ところで、被告人は恐喝の犯意がなかつた旨主張するので、この点について考えるに、右認定のように、被告人も力久等と暗黙のうちに意思を通じ、畏怖している丸山、前山及び武辺から治療代等の損害賠償を取り立てることを共謀したことは認められる。そこで、被告人は果して権利行使の意思で本件行為を行なつたか否かを検討しなければならない。
およそ他人に対して権利を有する者が、その権利を実行するときは、その権利の範囲内であり且つその方法が社会通念上一般に認容すべきものと認められる程度を超えない限り、何等違法の問題を生じないけれども、右の範囲を逸脱するときは違法となり、恐喝罪の成立することがあるものと解するを相当とする。ところで、前記認定の事実によれば、被告人及び駄原はキヤバレー魔女において、相当酩酊していたが、不当に高額な代金を請求されたので、これに文句を云つたところ、駄原は同店のバーテン、ボーイ等若者六名にとり囲まれたうえ、前山、丸山及び武辺から顔面の腫れ上がる程殴打され、被告人も武辺から平手で両頬をたゝかれたのである。およそ、酩酊している客に対し不当な代金を要求し、あまつさえ、暴力を加えるが如きことは許されないところであり、これに対し、損害賠償を要求することは当然の権利であつて、被告人及駄原が右の暴行によつて受けた被害に対し、治療代及び慰藉料として現金一万円及び清酒一升瓶詰四本(一級酒一本、二級酒三本)を受取つたことはその権利の範囲内のものといわなければならない。(もつとも既に認定したように被告人は受取つた当時「のし袋」の中に現金一万円が入つていたことは知らない)。しかも、右の如く若者六名に取り囲まれて暴力を加えられたのであるから、被告人等が合計五名で小桜屋に押しかけたことも権利行使のためにはやむを得ないところであり、また前記の如き事情においては速やかに加害者を発見し、これに対し、直ちに権利行使をしなければ、結局加害者及び暴力行為の程度が曖昧になり、権利行使が不可能となり、いわゆる泣寝入りになりやすいことが考えられるから、被告人等が深夜に押しかけ、長時間にわたつて損害賠償の要求をしたこともまた致し方のないところである。更に力久が前記認定の如き言辞(但し、「お前達はバラバラにしてやるぞ」との言葉を除く)を用いて怒号したことも、暴力行為の加害者に対する権利行使の態様としては不当なものということはできない。たゞ、力久が、小桜屋の二畳で登山用ナイフを炬燵の台の上に突き立て、「お前達はバラバラにしてやるぞ」と云つたことは社会通念上認容しがたい手段であり、また藤原方で治療代として丸山等に三万円を要求したことは、いわゆる権利行使に名を藉りて不当な金額を要求したものといわなければならない。そこで、被告人が、これらの事実を認識していたかどうかについて考えなければならない。第一回公判調書中被告人の供述記載、被告人の当公廷での供述、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、第二回公判調書中証人前山保正の供述記載並びに証人前山保正の尋問調書によると、被告人は小桜屋に赴いた際、力久からちよつと待つとけと云われたので暫く階下で待つていたため同家二階六畳の間には少し遅れて入り力久が炬燵の台の上に登山用ナイフを突き立てた頃は未だその場にいなかつたことが認められ、このことを左右するに足る証拠はない。また被告人は力久が治療代三万円を要求したことはないと主張しているところ、既に認定したように力久が藤原方で丸山に三万円を要求したのは同家二階であり、また丸山、前山及び武辺が相談して、力久に交渉して二万円に下げてもらつたのは同家階下三畳の間であつて、いずれも被告人等がいた同家階下八畳の間ではないことが認められるから、被告人は力久が相手にいくら要求したかはこれを知らなかつたのが真実であると考えられる。そうしてみると被告人は終始正当な権利行使の範囲内の事実しか認識せず、且つ正当な権利行使の意思で本件行為に加わつたことが認められる。従つて、被告人には恐喝の犯意がなかつたものというほかはない。この点において本件公訴事実はその証明がなく、刑事訴訟法第三百三十六条に従い、被告人に対し無罪の云渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 佐古田英郎)